こじかのこと

はじめまして!看護師を目指す前のこじかについて

はじめまして、えくぼがチャームポイントの『こじか』と申します

私のブログにお越しいただき誠にありがとうございます!

ここでは紆余曲折、山あり谷あり色々あったこじかのこれまでの人生、看護師を目指す直前までのこじかの人生を振り返ります。

興味のある方は是非読んでいってくださいね(*^-^*)

こじかのこれまで

私こじかは、35歳で看護師国家試験に合格

現在は看護師として働き、旦那さんと2人で明るく楽しい毎日を送っている40代女性です

今でこそ穏やかで楽しい毎日を送っていますが、看護師になるまでのこじかは

高卒フリーターとしてアルバイトや派遣をしながら

実家に寄生するパラサイトシングルでした

学生時代はいじめらっれっ子で、だいたいメンタル不安定

いつもどこかしら体調が悪く、体力もない若者でした

生きているのがこんなにつらいなら、早く死んでしまいたい

自分なんか消えてなくなればいいのに

そんな風に考えたことは数知れず

高校1年生のとき父が会社をリストラされました

進学はどうなるのかと頭をよぎりましたが

特に将来やりたいこともなく、勉強が得意でも好きでもなかったこじか

大学や専門学校に進学しても苦手な集団生活が続くだけ

家にお金もないし、別に進学なんかしなくてもいいか…

そう考えてただ目標もなくダラダラと高校生活を過ごしました

(ちなみに当時のこじかは、奨学金とはめちゃくちゃ頭のいい人だけがもらえるものという認識だったので、奨学金を借りて大学に行くという考えは思いつきもしませんでした)

さて、大学には行かない(行けない)と決まったものの

時代は就職氷河期

進路指導でも、普通科の高卒で入れるような求人がほとんどないと言われる始末

それに輪をかけて高3のこじかは身体的な悩みで軽いうつ症状からプチ不登校状態

そんな状態では高校卒業後、正社員で働く自信なんてとてもじゃないけどありません

とりあえず!実家にいられれば必要なお金は自分の小遣いぐらい

アルバイトでも生きていけるか

そう考えてフリーターになりました

ふわふわとフリーターを続けながらも、将来に対して漠然とした不安は絶えずありました

アルバイトでは大したお給料はなく、好きなものを好きなように買うことはできない

久しぶりに会う高校時代の友達は華やか(に私にはみえる)キャンパスライフを送っていたり、正社員として立派に働いていたり…もう劣等感の塊;つД`);つД`)

自分も必要とされる人にならなければと、医療事務やパソコンの資格にチャレンジし合格

資格を活かして働こうとは思っても、やっぱり正社員になる自信はなく

20代前半はファーストフード店のアルバイトや医療事務パート

パソコンインストラクター(超初心者向け)などをしていました

実は他にもサプリメント販売、下着販売、ファンシー雑貨販売、百貨店の出納事務やお歳暮受付、製薬会社事務などなど色んなことを経験しました

職歴のオンパレードで、やっぱり世間一般には

「仕事の続かないだらしない人」と見られるのでしょうか

こんなに職歴が増えてしまった原因は、そもそも短期派遣を選んでいた、販売ノルマがストレスだった、人間関係に悩んで退職、店舗が閉店してしまった(3回も!)

などがあります

今思えば、自分にできそうな仕事で少しでも時給がいい仕事を!と手当たり次第にチャレンジはするけど、その会社が安定して働ける将来性のある企業かなんて考えたこともなかったので、事業縮小するような会社に3回も当たってしまったんでしょうね(;^ω^)

それでも色々な経験を重ね、20代後半には働くことに少しずつ自信が持てるようになっていきました

30代目前には、これまでの接客業の経験とパソコンの資格を武器に

将来は正社員になることを夢見て、営業事務の派遣社員として

人生で一番安定した生活を送っていました

有難いことに職場では上司や先輩から信頼され、正社員に推すような声も聞こえてきたり来なかったり笑

きっとこのまま安定した生活が送っていけるはず、と今まで掛け持ちしていたアルバイトを辞め、派遣社員1本で頑張っていく覚悟をしたそのときでした

恐ろしいことが私の身の上に降りかかってきたんです

それは派遣社員がこの世で一番恐れている「派遣切り」!!

まさに青天の霹靂、天国から地獄へ急転直下の大事件でした(´;ω;`)

なんで突然こんなことが起こってしまったのか

それは労働者派遣法改正による3年ルール(有期雇用派遣社員が同じ組織で働ける期間を最大3年に制限するもの)が新たに設けられたためでした

こじかの正社員への夢はあっけなく散り、30代目前にして無職となったのでした